2007年01月26日

ツァラトストラかく語りき

 “ツァラトストラ”はペルシアのゾロアスター教の教祖のドイツ語読み。誠実さを最大の美徳と説き、勇敢さを身をもって実践したゾロアスターの名を主人公の名につけたところが、いかにもニーチェらしい。“ツァラトストラ”は、「ついに神は死んだ」と宣言、それまでのキリスト教にある宗教的厭世感を否定、現世を賛美し、生を肯定する新しい教義を説きます。その教書ともいえるのが、この「ツァラトストラかく語りき」。

この思想書は、ドイツの哲学者・ニーチェにより上梓され、日本では、「ビルマの竪琴」で有名な作家・竹山道雄による訳本が有名。難解な部分も多いのですが、その格調高い音律に満ちた文語文は、読む者に鬼気迫る感銘を与えます。

・・・・・我は愛する。浪費するところの霊魂を持つ者を。感謝さるるをば求めず、報いることなき者を。かかる人はつねに与え、みずからのためには貯うることをなさぬ。
~ ツァラトストラの序説 第四章より ~

 こんな格調高い文章で書かれると、身近にいる金遣いの荒い“どぐら”息子(熊本弁で放蕩息子のこと)でも、とんでもない大人物に思えてくるのが不思議ですね。案外、“どぐら”というのは、哲学的実存主義を貫き通す大思想家の卵なのかも知れません。

「ツァラトストラかく語りき」というタイトルも重々しい風格を感じさせてくれます。これを現代語訳で「ツァラトストラはこう言った」などと書いてしまうと、その言説に全く重みを感じなくなってしまうのは、私だけでしょうか?
  

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2006年11月19日

萱草(わすれぐさ)に寄す

夢はいつもかへって行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を・・・・

今、私の手許にあるのは、昭和初期に活躍した四季派の詩人・立原道造の詩集「萱草に寄す」です。
25歳の若さで夭折、4行・4行・3行・3行という独特の詩の形式で青春の叙情を美しく謳い上げました。

彼の詩を読んでいると、その余りにピュア過ぎる小さな魂の囁きに、心打たれます。
それらは、余りに脆く、壊れやすい情熱と美に満ちているのです。
まるで、床に砕け散った青く透き通る水晶の破片を
ひとつひとつ丁寧に並べて創ったキラキラときらめくモザイク絵のように、
私達の心に沁みこんで行きます。

亡くなる少し前、病院に見舞いに来た人に、「5月の風をゼリーにして持ってきてください」
と注文したという立原道造。

そんな純真な言葉の響きは、現代の病んだ私達の心を、きっとやさしく癒してくれることでしょう。

  

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2006年11月04日

農民芸術概論綱要

・・・おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園と
 われらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようではないか・・・

「農民芸術概論綱要」は、宮澤賢治30歳頃の作とされ、彼の全集以外では、ほとんどお目にかかれない珍しい論文です。彼の思想を簡潔に集大成した、全く新しい芸術論で、「農民芸術」の創造を通して、職業芸術家では成し得ない、“美”と“農業”と融合を美しく詠いあげた、壮大な未来論、宇宙理論とも呼べるかも知れません。

「われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」     ~序論

「芸術をもて あの灰色の労働を燃やせ」       ~農民芸術の興隆

「風とゆききし 雲からエネルギーをとれ」       ~農民芸術の製作

「創作止めば 彼は再び土に起つ」           ~農民芸術の産者

論文は、上記のような、賢治の思想のエッセンスとも思える言葉がちりばめられています。私達が、ここにある大きく深遠な意味をいっぺんに汲み取ることは難しいとは思いますが、論中の一章一句から、何か一つでも、アマチュア芸術活動の指針として活かすことができれば・・・と思っています。

因みに、私は大学時代に、この「農民芸術概論綱要」にシビれまくり、
「宮澤賢治 ~その四次元的芸術世界に於ける 美と農業との合一点」
というタイトルで卒論を書いてしまった者であります。  

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2006年10月28日

金槐和歌集

大海の 磯もとどろに寄する波
      割れて砕けて裂けてちるかも・・・

 「金槐和歌集」は、鎌倉幕府三代将軍・源実朝の歌集。実朝といえば、「政治的には無能で、文学でのみ名を残した」という評価が一般的のようです。実際、日本史の教科書で、甥の公暁に殺害された時と、文学史で「金槐和歌集」の項目でわずかな記載があるだけです。
 しかし、このマイナーな人物、いろいろな時代のいろいろな文学者の注目を浴びている不思議な人でもあります。本居宣長、正岡子規、太宰治、小林秀雄、吉本隆明etc・・・。そして、些事の違いはあれ、彼らの共通の見方は、「深い諦念の上に立って、政治的無能を演じた中世の詩人」といった感じのものです。
 同時代に編まれた「新古今和歌集」が、襖絵や屏風絵を見ながら読まれた“題詠”とよばれる手法で抽象的・観念的な歌が大部分なのに対し、実際の情景を見たままに詠んだ実朝の歌は、とにかく迫力のある描写が多い。海の波が、“割れて砕けて裂けて散る”などという表現は、当時の宮廷歌人には、とても思いつかない言葉の羅列ではないでしょうか。
 因みに、中野孝次の著「実朝考~ホモレリギオーズスの文学」は、そんな実朝の実像を詳細に解説してくれ、私の実朝感をすっかり覆してくれた一冊です。  

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2006年10月26日

伊勢物語

五月待つ 花橘の香をかげば
       昔のひとの 袖の香ぞする・・・

 平安時代の恋多き貴公子、在業業平の一代記と伝えられる「伊勢物語」第60段にある和歌です。「伊勢物語」の、この歌物語というジャンルの文学、現代では余り見かけない文学形式ですが、(昭和初期の四季派の詩人たちが、若干取り入れていました)混迷を極めるこの時代、再度見直されてもよいのではないか?と思います。
 伊勢物語は、時代や場所、配役さえ変えれば、現代のトレンディドラマさえ敵わないような男女の機微に溢れたストーリー。特に、第60段のこの歌、男性が女性に対する思いを伝える形として、シビレるものがあります。私もかつて、自分の思いを伝えるため、この和歌を寄せ書きに書いたりして、ある女性に思いを伝えようとしたことがありますが、ものの見事に失敗したことがあります(笑)。お互いに古典の素養がなければ、さっぱり意味の分からない歌ですから・・・
 面白そうだと思った人は、俵万智の「恋する伊勢物語」を読んでみてください。様々な男女の情景が細やかな洞察の下に解説されていて、思わず惹きこまれてしまいます。好著です。

  

Posted by 信ちゃん at 21:54Comments(1)TrackBack(0)